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2015年7月の3件の記事

2015年7月17日 (金)

5313690_2 父親は転棟した。

結局、転院先の病院は見つからず、同じ病院内で移動することになった。しかし以前入ったストレスケア病棟はイヤだと言い張ったらしい…主治医が病棟に出向いて直接伝えてくれた。


「病棟を移って3か月入院してもらいます」


有無を言わさず言ったのだろう。口調は柔らかいが、結構コワイ先生なのだ。さすが、久里浜の先生方やスタッフの教育に行くだけのことはある。アル中の扱いに手馴れているというところか。

しかし、私もいたストレスケア病棟は6月をもって急性期病棟となったため、3か月以上の入院はできなくなった。しかも転棟の場合は1か月しか入れないと担当医から電話があった。主治医は知らなかったらしい。

さて困った。仮入居にサインしたサービス付き高齢者住宅は5人待ち。しかも父親は見に行ったことも書類にサインしたことも覚えてないと言う。酒で脳をやられているんだろう。ならばと違う場所を探してもらったら…近場に空き物件があった。一度、入居希望者と面談が必要となる。調整して21日の14時に病院に来てくれることになった。時間がない。今月末を目指して入居させたい。都合の悪いことは「忘れた」「そんなこと言うはずがない」を繰り返して人を振り回す。会話は暖簾に腕押し。こちらも疲れ果てた…。入居を決めてほしい…精神病院はイヤなのだから。

来月の9日から休暇の取れたyukiとチェンマイに行くことになっているが、まだ、切れたパスポートも申請に行っていない。今月の下旬から来月初旬にかけて転居を済ませられることを祈りたい。

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2015年7月 6日 (月)

5699017 病院から突然電話がかかってきた。

「2週間で退院して頂きます」

驚いた。当初の想定入院期間は3か月となっている。ところが担当医師が言うには大きな離脱症状もないし、私の主治医からの依頼では短期間でもいいからということらしい。一方的な通告に等しいが、決定事項となった。慌てて主治医に電話した。

「今、出されたら、私が困ります。なんとか次の入院先を…」

探してくれるという。入院前にサービス付き高齢者住宅に申込をしていた。ここも私が考えて探し、説得に説得を重ねて連れて行き、満室だったが仮入居にサインをさせたのだ。入院中の父親から電話があったとき、こう伝えた。

「家に帰るという選択肢はないからな」

精神病院かサービス付き高齢者住宅か、どちらかを選べというのが私の考えだが、相談したいとこもyukiも賛成してくれている。父親はここまで迷惑をかけたにもかかわらず「家に帰してくれよ…頼むよ」と言う。まだやりたいようにやりたいのか…もう愕然とする。今まで優しくしすぎたみたいだ。「自分を犠牲にしすぎてまで面倒を見ている…」人に言われてようやくわかってきた。

退院日は今週の木曜日。主治医との話は火曜日。そこで今後の入院先を決めてもらうつもり。もう家には帰さないという強い態度で臨む。理想は病院に入院しつつサービス付き高齢者住宅の空き待ちをし、そのまま入れたい。

アルコール依存は本当に家族を巻き込む難儀な病気だ。言うことを聞かず、振り回す父親に疲れ果てた。そして、とうとう私が酒に手を出してしまった。ここ一週間、飲んでいる。ヤバイなぁ…と思いつつ…。苦悩は続く。

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2015年7月 2日 (木)

5584102_2 3日後、病院へ荷物を持って行った。準備は何一つしていなかった。私は熱をだし、倒れていた。全身に走る倦怠感。起き上がれない。きっと疲れがドッと出たのだろう。

初めて見る閉鎖病棟。そこはスーパー救命救急病棟と言われるところ。主治医が言っていた。うちのできる看護士はそこにいると…。開放病棟の看護士では手におえない患者の面倒を見るのだ。確かに頭の切れそうな方とか、体格のいいスタッフなど独特な雰囲気が漂っていた。

病棟の入り口は鍵がかかっている。中に入ってわかったことだが、通路などにも細かく鍵がある。父親はその中のまた鍵のかかる隔離室にいた。小さな衝立で隠した便器とベッドだけ。窓は開かず、ただの明り取りだろう。ストレスケア病棟などは机やロッカーなどホテル並みの木製のものが備わっているのだが、何もない。父親はそこで病衣を着てベッドに痩せた体を横たえていた。

家にいるとき、隠れもせずワンカップを飲んでは、また買いに行く。そして歩けなくなり、道でうずくまり救急車を呼ばれることを繰り返していたにもかかわらず、私には「大丈夫だ。なんともない」と頑固に言い続け、困らせていた。

大人しくなった父親と会話をしてみた。「いつから飲んでたの?」「3月から4月にかけて…」3月といえば父親の誕生日で4月は母親が亡くなった月。私は入院中だった。それから止まらなくなったらしいことが判明した。一年以上飲んでいなかったのだ。父親にとって4月は厄月。兄弟を何人も亡くし、30日には妻…私の母親を失っている。しかし6年前のことだ。その結果が閉鎖病棟に3か月の入院を招いた。これからどうしたらいいだろうかと考えている。

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